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「昨日の自分に教えたいこと」をテーマに書き散らしてます

【iPadいらない説】幸福度を上げて自由な時間を増やすため、iPad miniを手放すことにした

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私にとって時間泥棒の主犯格である、iPadから解放されようと決意しました。

目次(2017/07/16更新)

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iPadは幸福度を上げるか下げるか

いつものようにiPadでゲームをしてしまっているときのこと。

このiPad miniで、自分は幸せになっているんだろうか。

そんな思いが頭をよぎり、iPadやタブレットが、私たちの幸福度を本当に上げているのかどうか、疑問を持つようになりました。

たしかに映画や音楽、写真などを大画面で楽しめるというメリットを感じられる人もいるでしょう。

しかし、逆にいえばそうした刺激的なメディアに入り浸ってしまい、自分の時間を奪われてしまう(私のような)人間もいるはずです。

前者にとってiPadは幸福度を上げるものになりますが、後者にとっては下げてしまうものになってしまいます。

このあたりを少し掘り下げて考えてみましょう。

幸福度を上げる要素

iPadは、たしかに幸福度を上げてくれるもののひとつだと思います。

たとえば、次のような点で私たちを幸せにしてくれるでしょう。



1.高価なおもちゃになる

iPadは、パソコンほど操作が難しくないうえ、スマホより大画面です。

そのため、大人にとっても子どもにとっても、高価なおもちゃになるでしょう。

最近ではAmazonビデオやNetflix、Huluなどの動画配信サービスが充実し、アニメも邦画も洋画も手軽に楽しめるようになりました。

Appストアを開けば、毎日のように新たなゲームアプリがランキング上位に位置し、暇つぶしにピッタリ!なアプリがあふれています。

なんの罪悪感も感じることなくそうしたゲームやメディアを楽しめる人であれば、それはそれで幸せなのかもしれません。

2.マルチメディアを楽しめる

アニメや映画だけでなく、音楽や写真も楽しめるようになっています。

iPadのカメラで動画を撮ったり、Youtubeを流したり、AppleMusicを聞くこともできますね。

目が悪いおじいちゃんおばあちゃんに対し、子どもの顔を見せるために写真や動画を表示する、というのは大きく幸福度を上げる使い方でしょう。

3.電子書籍を読める

iPadほどの大きさがあれば、マンガや雑誌、写真集などの電子書籍も快適に読めます。

いつでもどこでもお気に入りのマンガを読めたり、趣味の雑誌を眺めたりできるのは、たしかに幸福度を上げているといえそうです。

幸福度を下げる要素

しかし私は、iPadが私たちの幸福度を下げる主要因なのではないかという考えを持っています。

幸福度を上げてくれる要素として挙げたのは、どれも暇つぶしのための使い方です。

でも、私たちの貴重な時間をつぶすなんて言い方で表現してもいいものなのでしょうか。

自己投資や勉強、家族や友人のためにその時間を使いたい。私はそう思います。

ところが、iPadではその望みを叶えてくれません。

その理由も考えてみます。

1.「もっと」ほしくなる

一度iPadを購入し、気に入って毎日使うようになれば、例外なくもっとほしくなるはずです。

家族やパートナーと共用で使っているのであれば、自分専用の端末がほしくなる。

ひとりで使っていたとしても、新しい機種が出て性能がアップしたと聞けば、古いものを処分して最新機種がほしくなる。

もちろんiPadで利用するコンテンツに関してもいえることで、ゲームに課金したり、アニメ・映画のため有料契約したり追加料金を払ったりすることが考えられます。

人間の欲って限りないものですので、もっと高性能なものを、もっと大画面のものを、もっと楽しいものを、と歯止めがきかなくなってしまいます。

ほしいものが得られないという苦痛で精神的にも悪いですし、もちろん経済的な負担も大きくなるでしょう。

2.アニメ・映画・ゲーム・マンガに時間を奪われる

アニメや映画、ゲーム、マンガなどに時間を奪われることも、幸福度を下げる一因だと思っています。

すべての作品が悪だとはいいませんが、なんとなく暇つぶしでこうしたメディアに浸るよりも、小説を読んだり美術館へ行ったりする方が、よほど精神的な休養に効果があると思います。

ほかにやるべきことがあるのに、ついゲームのアプリを開いてしまうのも、大きく幸福度を下げてしまいます。

またゲームしてしまったという罪悪感や、自分の人生をこんなことのために費やしていいのかという違和感を感じるのは、私だけではないでしょう。

3.勉強するには誘惑が多すぎる

「電子書籍で読書できるから必要だ」「動画学習に役立つから悪じゃない」という意見もあるでしょう。

たしかにKindleなどのアプリを入れれば、iPadで読書もできます。

動画で勉強できるUdemyのようなサービスを使えば、プログラミングやWEBデザインについて学習することも可能でしょう。

でも、それって別にiPadじゃなくてもできることなんですよね。

電子書籍は専用のKindle端末を用意すれば、ゲームアプリなどの誘惑と戦わずにすみます。

動画学習だって、パソコンで視聴してメモ帳などにノートを取りながら勉強する方が効率的です。

いろんな楽しみが詰まっているiPadでは、誘惑が多すぎて勉強には向かないというのが、私の考えです。

iPad miniを手放す決意

そんなわけで、私はゲームやアニメ、マンガなどを楽しむために使っていたiPad miniを、親しい知人に譲ることにしました。

nogunori.hatenablog.com

こんな記事も書いているとおり、iPadでゲームをしてしまうクセをなんとかやめようと苦心していたところでしたし。笑

それから1ヶ月ほど経ちますが、勉強はスマホやパソコンでできるので不便はなし。

アニメや映画をなんとなくみる機会も減り、自分のための時間を多く確保できるようになりました。

ついiPadを手に取り時間を浪費してしまう

私は30分ごとにログをとる生活を続けているのですが、iPadを手放してから勉強や趣味の時間に充てる時間が増えていることも実感しています。

やっぱりゲームや動画アプリを入れているiPadが視界に入ると、やらなければいけないことがあったとしても、つい暇つぶしに走ってしまいますね。

購入時にはメルカリでせどりを行ったりしていたので、もともとは仕事用に用意した端末だったiPad mini。

最初はiPadを使う立場だった私ですが、いつの間にかiPadに使われる立場になっていたのかもしれません。

消費端末であるiPadは持たないのがベター

デジタル情報端末には、大きく分けて「生産のための端末」と「消費のための端末」があります。
生産端末とは、仕事や調査や勉強をし、コンテンツを生みだすための端末で、「稼ぐための端末」です。
消費端末とは、情報を見たり遊んだり、ショッピングをしたり友達とつながったりするための端末で、「稼いだお金と時間を使うための端末」です。
参照:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20160509

その著書をよく読んでいるちきりんさんのブログに、生産端末・消費端末という概念が紹介されています。

これは私もすごく気に入っているエントリーなのですが、パソコンが主な生産端末であり、スマホ・iPadは消費端末であるという考え方ですね。

たしかに、LINEひとつで仕事が完結してしまうような経営者など特殊な例を除けば、パソコンが生産端末、スマホ・iPadは消費端末と考えることができますよね。

ちきりんさんらしい、これまでなかった価値観を示してくれる考え方です。

これは私の価値観がストイックすぎるのかもしれませんが、やっぱり私たちは消費端末を最小限に抑え、主に生産端末を持つべきです。

基本的には私たちが価値を生み出せるのは、スマホやiPadではなく、パソコンですからね。



まとめ

Apple信者を自称する人や、無類のガジェット好きという方で、iPadを持つことそのもので幸福が得られるならそれでもいいのかもしれません。

または、成人して罪悪感なくゲームやメディアに入り浸れる人も、それもそれでいいと思います。

しかし、iPadで暇つぶしすることに少しでも違和感・罪悪感があるなら、一度それを手放してみてはどうでしょうか。

いきなり売るとかじゃなくて、実家に送ったり、押し入れにしまったりするだけでも、iPadのない生活が楽しめると思います。

iPadからフリーになろう!