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「昨日の自分に教えたいこと」をテーマに書き散らしてます

「世界は公正なところである」というトンデモ思考を捨てることにした

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私は昔から何の疑問も持たず「世界は公正なところである」と信じていました。

しかしその考えってすごく危険なことだぞということが『武器になる哲学』という本を読んで理解できたので、今後考えを改めようと思った話です。

がんばっていれば必ず報われる?

公正世界仮説の持ち主は、「世の中というのは、頑張っている人は報われるし、そうでない人は罰せられるようにできている」と考えます。このような世界観を持つことで、例えば「頑張っていれば、いずれは報われる」と考え、中長期的な努力が喚起されるのであれば、それはそれで喜ばしいことかも知れませんが、しかし、実際の世の中はそうなっていないわけですから、このような世界観を頑なに持つことは、むしろ弊害の方が大きい。

「世界は公正なところである」と考えることの第一の弊害は、「がんばっていれば必ず報われる」という考えに陥ってしまうことにあります。ご存知の通り、この世界はがんばりが必ず報われる仕組みにはなっていません。

同じように、がんばらない人が罰を受けるという仕組みにもなっていません。毎日がんばってきた人が不幸な目に遭うことも少なくないですし、だらだら生きてきた人であっても成功してしまうことが珍しくないのがこの世界の真理といえます。

そうであれば「世界は公正な所である」と考えて、むやみやたらにがむしゃらにがんばることは、うつ病をはじめとするさまざまなトラブルの原因になりかねません。もちろん勉強や努力のモチベーションにはなるかもしれませんが、誤った思い込みからくる弊害の方が大きいでしょう。

「一万時間の法則」の信憑性

「努力は報われる」と無邪気に主張する人たちがよく持ち出してくる根拠の一つに「一万時間の法則」というものがあります。「一万時間の法則」とは、アメリカの著述家であるマルコム・グラッドウェルが、著書『天才!成功する人々の法則』の中で提唱した法則で、平たく言えば、大きな成功を収めた音楽家やスポーツ選手はみんな一万時間という気の遠くなるような時間をトレーニングに費やしているというものです。

「世界は公正なところである」「がんばっていれば必ず報われる」と考える人の根拠として、「一万時間の法則」が取り上げられますが、実はこの法則には穴がある…というのが、『武器になる哲学』で書かれている主張です。

というのも、一万時間のトレーニングの結果、一流になれた人の根拠として、ごくごく一部のデータしか提示されていないからです。ビルゲイツやビートルズなどが重ねた一万時間のトレーニングの例を根拠として、この法則を提唱しているわけです。

確かに、正しいやり方で一万時間トレーニングを重ねれば、その分野の専門家になれる可能性は高いことでしょう。とはいえ、一万時間の法則が指摘しているのは、要は「がんばり続ければ報われるよ」というシンプルな話なんですよね。一万という具体的な数字でキャッチーにしているだけで。

「自業自得」「因果応報」弱者非難のワナを避ける

さて、ここからは「公正世界仮説」の別の問題点を指摘します。それは、この仮説に囚われた人は、しばしば逆の推定をするということです。つまり「成功している人は、成功に値するだけの努力をしてきたのだ」と考え、逆に何か不幸な目にあった人を見ると「そういう目に遭うような原因が本人にもあるのだろう」と考えてしまうわけです。いわゆる「被害者非難」「弱者非難」と言われるバイアスです。

「世界は公正なところである」「がんばっていれば必ず報われる」といった考えの最大の弊害はこの点にあると思います。つまり努力至上主義になってしまうことですね。努力する人は問答無用で立派な人だし、そうでない人はダメな人間だと考えてしまうのがこの思考の危ういところ。

私も無意識に努力する人こそ成功するんだと考えることが少なくありません。口にすれば気持ちのいい言葉かもしれませんが、裏を返せば、不幸な境遇にいる人はそれだけ努力を怠ってきたのだろうと考えてしまう危険性を持っているわけです。

自業自得や因果応報とはフィクションの世界の出来事であり、世の中で起きるほとんどの不幸は単に運が悪かったものでもあるはず。そういった言葉をやすやすと使わず、「世界は公平である」という考えも捨てるようにしたいと思ったのでした。