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「昨日の自分に教えたいこと」をテーマに書き散らしてます

《課題の分離》の大切さを教えてくれる『置かれた場所で咲きなさい』のメッセージ

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『置かれた場所で咲きなさい』というベストセラー本があります。

「年寄りが若者に古い価値観を押し付けている本だ」みたいなイメージを持たれがちなタイトルですが、中身のメッセージはちょっと違います。

『嫌われる勇気』の「課題の分離」という考え方に通じる、幸せへのステップが解説されているんです。

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1.『置かれた場所で咲きなさい』のメッセージ

いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」(引用文の太字は筆者による。以下同)

「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルの元ネタは、著者が困難に出くわした時期に贈られた言葉なんだとか。

その真意は、「他人のせいにせず、今いる場所で精一杯のことをやろう」ということです。

現状に満足して今いる場所にずっと留まり、決して逃げることなく理不尽に立ち向かえ…的な意味ではないんですな。

幸せは自分の心が決めることです。人が幸せにしてくれるのを待っていても、年を取るだけ。自らが咲く努力をするしかありません。でも、どうしてもここでは咲けないと見極めたら、場所を変えたらいい。その自由は奪っていません。私の教え子の中にも、離婚をして幸せになった、あるいは転職をして幸せになった人もいます。ただし、置かれた場所のせいにばかりして、自分が変わる努力をしなければ、決して幸せを得ることはできないのです。

その証拠に、著者は逃げることを決してネガティブなものとして考えていません。

あくまでも、他者や環境のせいにして逃げることが、将来なんの役にも立たず、幸せにもつながらないということを訴えているわけであります。

自分の中心に「私」を置く

私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

著者はこの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を贈られてから、人生が変わったということを書いています。

「周囲の人からあいさつされない」という出来事があったとき、「どうしてみんなあいさつしてくれないんだ」と考えていた従来の思考から、「自分からあいさつしてみよう」という思考に変わったといいます。

つまり、「他者がどうあるべきか」ではなく、「自分がどうすべきか」という軸で考えられるようになったんですな。

自分がどうすべきかという軸で考えることは、『嫌われる勇気』で出てくる「課題の分離」という考え方と本質的に同じこと。

2.『嫌われる勇気』課題の分離について

哲人 およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

「人の悩みはすべて対人関係が原因」と言い切るアドラー心理学では、対人関係の悩みを劇的に減らす方法として「課題の分離」を挙げています。

これは目の前の課題が誰のものかを考え、他者の課題であれば自分からは介入せず、自分の課題であれば他者に介入させないことを指します。

たとえば、自分の子どもが勉強しないという状況をイメージしてみます。

「子どもこそ我が人生」と考えてしまう人にありがちなこととして、子どもに自分を重ね合わせ「もっと勉強していい大学へ行け!」と叱責してしまうケースが考えられます。

しかしいくら親といえども、これは他者(子ども)の課題に土足で踏み込んでいくよろしくない行為なのです。

誰の課題かを見分けるシンプルな方法

哲人 誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。

『嫌われる勇気』では、このような誰の課題かを見分ける方法を提示しています。

先ほどの例の場合、子どもが勉強せず、テストで悪い成績を取り、希望の学校に行けなかったり好きな職業に就けなかったりという結末を引き受けるのは、ほかでもない子ども自身。

だからこそ、子どもの勉強は子どもの課題であり、親は介入してはいけないということになるわけです。

親が介入せず、子どもが自分で「勉強するか、しないか」を選択し、その結末の責任を引き受ける。

親の方は子どもの課題に介入しないことで、「子どもが人生の道を踏み外したら私も死ぬしかない」みたいな課題の混合を防ぐことができます。

その結果、子どもは自立した責任感ある人間に育ち、自由を勝ち取れるようになっていく。

親も、子どもの人生ではなく自分の人生を歩むことができ、自分の幸福を追求できる

それがあるべき姿ということですな。

3.幸せになるのは私の課題。他人がどう思うかは他人の課題。

つまり、『置かれた場所で咲きなさい』で伝えたいメッセージは、この「課題を分離」をおこなうことによって対人関係の悩みを減らし、幸せになろうということなんですな。

課題の分離がうまくできるようになれば、「なんで自分がアイツの尻拭いをしなきゃいけないんだ…」みたいな悩みは、もちろんなくなります。

また、「お金がない。貯金して節約しろという親からのプレッシャーがある」という悩みも課題の分離をおこなえば、

「たとえお金がなくても、幸せだと思えるならいいじゃないか。貯金しろっていってくる親が抱える心配や不安は、親が解決すべき課題じゃないか」

と割り切れるようにもなるでしょう。

あいさつをしてくれないのは他者の課題。

こちらからあいさつをするのは自分の課題です。

他者の課題にばかり目を向けることをやめて、自分の課題にのみ取り組みましょう。

そんなメッセージが、『置かれた場所で咲きなさい』に込められているように思えたのでした。

まとめ

  • 環境や他人のせいにせず、置かれた場所で精一杯の努力をしよう
  • ときには逃げてもいいけれど、逃げる理由に他者や環境を持ち出してはいけない
  • 他者の課題に介入せず、自分の課題のみに専念することが幸せへの道

以上、「《課題の分離》の大切さを教えてくれる『置かれた場所で咲きなさい』のメッセージ」という記事でした。

『置かれた場所で咲きなさい』って、タイトルからすると古い考え方の老人が若い人に向かって精神論を説いているようなイメージを受けてしまいます。

だけど、その中身はアドラー心理学にも通じるところのある、幸福の本質を突いた話なんですよね。

私も改めて「課題の分離」の大切さを知ったので、非常に充実した読書ができました。

2017年4月に文庫化された『置かれた場所で咲きなさい』は、Kindle版なら500円で変えるんで、気になった方は即購入がおすすめ。