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「昨日の自分に教えたいこと」をテーマに書き散らしてます

20代で軽度の難聴だけど、聞こえにくくてよかったと思うことはたくさんある

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学生時代に耳鼻科を受診したとき、「私があなたの親なら、すぐ補聴器を用意する」といわれたくらいに耳が聞こえにくい私。まだ20代前半ですが、どうやら遺伝のせいで難聴っぽくなっている感じです。

耳が聞こえにくいことによって、もちろん不便なこともたくさんありました。でも、それと同じくらいいいこともたくさんあったよって話です。

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1.軽度の難聴持ちの私

母方の祖父と母親、そして妹と弟も難聴気味の私の家族。私以外の全員が、少なくとも片耳に補聴器をつけています。これはどうやら母方の祖父から受け継いだ遺伝のようで、20代前半の私にも10代の頃から難聴の兆しはあらわれていました。

とはいえ、そこまで重度の難聴ってほどではなく、日常生活ではたまに会話が聞き取れない程度。ボソボソとしゃべるタイプの人とはまったく会話ができないこともまれにありますが、店員さんとコミュニケーションを取るのに困ったことはありません。

ですが、学生時代に耳鼻科を受診したときには、担当のおばちゃん先生から「まだ将来があるんだから、私があなたの親だったらすぐ補聴器を用意するよ」といってもらったことも。なんだか汚れが溜まってしまいそうだしやたらと高価だったりもするんで、いまだ補聴器は買えていないんですけども。

2.耳が聞こえにくくてよかったこと

そんな軽度の難聴持ちの私ですが、「聞こえにくくてよかった!」と思うことは少なくありません。

たとえば、アパートの隣の部屋の音が聞こえないこと。当時付き合っていた彼女さんには「隣の部屋、うるさいね」なんてよくいわれてましたが、私はまったく気にならなかったのです。壁に耳を押し当てて、やっと「ああ、飲み会やってみるみたいね」なんて気づいたほど。

それに、夜寝るときに換気扇や扇風機の音が全然気にならないってのもよかったことのひとつ。同棲していたときの彼女さんには「扇風機の音が電子レンジ回してるみたいで気になる」といわれて扇風機をオフにしたことがありましたが、私は全然気にせず夜眠れたってこともあります。

ほかにも外の騒音が聞こえにくいので仕事に集中できたり、健常者の人といっしょにテレビをみていると音が小さくて聞こえずつまらないので、結果的にテレビ離れするきっかけになったりもしました。

一方で、広い部屋を使ってやる大学の講義に参加する場合に、音が反響して聞こえづらいなんてデメリットもあるんですが、デメリットの数と同じくらいメリットの数も経験していると感じています。

3.客観的な事実ではなく、主観的な解釈を変えよう

この話のポイントは、「客観的な事実はそのままに、主観的な解釈を変えよう」ってことです。

私にとっては難聴であるってことは、どうしても変えることができない事実です。補聴器で聴力を補うことはできたとしても、現代の医学では聴力を健常者と同じレベルまで治すことは不可能です。

だったら、「耳が聞こえにくくて不便だ…」という主観的な解釈を変えるしかありません。「耳が聞こえにくいおかげで、騒音にジャマされず集中できる!」と難聴のいい側面を切り取るわけです。

私はこのように主観的な解釈を変えられたおかげで、耳の聞こえにくさで悩みを感じることが少なくなり、以前よりもずっと楽に生きられるようになった気がしています。

人は少なからず悩みを抱えているものです。家族のことであったり職場のことであったり。でも、客観的な事実は変えられなくても、主観的な解釈は変えることができます。もしダメな親や上司に困っているなら、反面教師にして「こんな風にはならないぞ」という手本にしたらいいわけです。

そんな感じで自分にとって「よかった」と思えることを増やしていって、幸せに人生を歩みたいものですね。

まとめ

以上、20代で軽度の難聴を持っているけど、聞こえにくくてよかったことはたくさんあったよって話を紹介してきました。

客観的な事実はそのままに受け入れ、主観的な解釈は好きなように変えていく。これは私の人生のモットーとしたい考え方です。

この考え方にピンときたなら、『嫌われる勇気』をもう一度読み返してみることをおすすめします。考え方の元ネタは、この嫌われる勇気ですんで。